弾丸ソウルの旅
2014年3月にソウルを訪れた時の話。
3月17〜20日の4日間で韓国・ソウルの旅。
夕方に関空を発ち、夜にインチョン着。
イミグレを抜けてすぐ腹ごしらえ。
空港内のマクド。
ジュースの量が多かった。
空港鉄道に乗り、ソウル市内へ
車内の女の子がまさしく韓国人という感じで韓国に来たなと実感。
1時間ほどでソウル駅に到着。
さすがソウル、都会です。
地下鉄に乗り換え、東大門駅へ
予約しておいたゲストハウスへ向かう。
ソウルの宿は、
dongdaemun well-being hostel 。
地下鉄からすぐで、近くにセブンありとなかなかの立地。
今回はシングルを予約。
2泊で50000ウォン(5000円)ほど。
女性オーナーのgraceさん、タダで手料理を作ってくれる、いい人だった。
全部辛かった。
夜に近くのマーケットを散策。
なかなかの人出。
翌18日は、板門店へ
事前に申し込んでいたパックツアーで、戦争記念館やプルコギ屋を経由してバスで北緯38度線・板門店へ北進。
朝鮮戦争休戦の調印?
竹島の領有権を主張
韓国軍兵士の姿も。パレードの練習をしていた。
お昼のプルコギ。んまい。
食後は、いざ板門店へ。
国連施設内に入ると、
何やら死傷しても責任は負いませんという文言が盛り込まれた誓約書にサインする。
板門店の歴史についてのレクチャーを受け、
いよいよ潜入。
来ました、板門店。
国境の向こうは北朝鮮。
あちら側の建物には北朝鮮軍人の姿。
初めて見る北朝鮮人に興味津々。
時折、双眼鏡でこちら側を伺っています。
画像の青い建物に入ると、会談の場が
韓国軍兵士の他に米軍兵士の姿も。
板門店を出ると快く撮影に応じてくれます。
朝鮮戦争はあくまで休戦状態。
この21世紀の今でも戦争中というわけで、現場には緊張感が漂っていました。
ソウルに戻ると、平和な日常。
それでも地下鉄などではガスマスクが置いてあり、戦争中ということを感じさせられます。
ソウル市内のマクドで勉強中の女の子
地下鉄には有事への備えが。
翌19日は宿を出て、ソウル市内観光。
朝イチで美白エステ(1時間100000ウォンくらいした)に行くも肌の色は変わらず。
繁華街・明洞をふらつき、実弾で銃が撃てる射撃場へ。
日本の警察が使うニューナンブM60とアメリカ陸軍のベレッタ92Fを使用。
いやぁ反動がすごい。映画なんかだと片手で撃ってたりするけどあんなん無理や。両手で持って脇締めて撃たないと的に当たんない。
ベレッタ92F
さて、この日は宿がないのでオールナイトのクラブに行くことにしていた。
が、行ってみると本日休業の張り紙。なんてこった、空港泊に切り替えだと思って地下鉄に行くと…
なんと空港行きの終電が出たあと。
やばい。
急いで駅職員に話をして、別の路線ならまだ空港行きの電車があることを教えてもらい、急いで向かう。
無事に乗車でき、空港に着きました。
インチョン空港では毎度おなじみ空港泊。
コンセント付きの立派な寝床を発見。
一夜を明かして、さぁ日本へ。
今回もピーチで帰国。お世話になります。
韓国は近くていいですね。
それでいてショッピングはもちろん、板門店や射撃など日本では到底味わうことのできない時間を過ごせる。
また行こう、韓国。
弾丸台北の旅
話は2013年3月にさかのぼります。
3月7日~10日の4日間の弾丸・台北旅行。
はじめての一人旅で、まだ当時18歳の僕にとって、
一人で見る風景・呼う空気は新鮮で気持ちいいものでした。
3月7日
15:45発、18:00着。
桃園空港へ着くと、台北市内へ向かうために空港内のバスチケットカウンターへ。
窓口のおばちゃんが僕を見るなり日本語で話してきた。いきなり面食らう。
バスに揺られること、小一時間、台北市内に到着。
MRT忠孝復興駅で下車します。駅から出るとそごうデパートが堂々とそびえ立つ。
まずは予約しておいたゲストハウスへ。
薄暗い中、一人で初めて歩く知らない土地は少し心細かった。
泊まったのは台北ゲストハウス101。
忠孝復興駅から徒歩1分と立地抜群、オーナーは日本人で言葉に困らない。
この日はゲストハウス周辺をぶらついて、タピオカジュースの店「coco tea」でテイクアウト。美味。
ファミマは「全家」になってました。
8日は早朝から国立国父紀念館へ。
噂通りやってました、太極拳。
見学したあとはMRT忠孝復興駅に向かい、九份へ。
そごう側のバス停から金瓜石行きのバスに乗り込みます。
バスの中で隣に座った台湾人のおばさんから日本語で話しかけられ、小話。
なんでもホテルを経営しているらしいが、よく日本語がここまで話せるものだ。
猫がたくさんいます。
両側に店がひしめく狭い路地を抜け歩き回る。
公衆トイレにペーパーはなく、持参したペーパーが役に立ちました。
あと、屋外でもWifiが使えて、日本とLINEできたのは便利。
お土産を物色してると「阪急バスツアー」ののぼりに付き従うおばちゃん軍団を発見。
聞こえてくる関西弁を耳にしながら、ここは本当に外国なのか…と少し引く。
店にはお土産で有名なパイナップルケーキがたくさん。
かき氷やフランクフルト(甘い)などのつまめるものもたくさん。
九份を後にし、台北に戻ると晩ご飯。どこかの夜市で、うどんらしきものを食べる。
はしごして、別の店へ行くとテレビで野球。なんとWBC日本vs台湾の試合だ。
周囲を台湾人に囲まれる中、一人で日本を応援。
日本が勝って、気まずい空気の中店を後にした記憶が…。
9日は台北市内を観光。
龍山寺でものすごい線香の煙に包まれながらお参り。
中正記念堂で儀仗兵を見ようと行ってみると、自由広場のあたりでなにやら人だかりが。
(中正記念堂)
群集の中にいた同年代とおぼしき女の子2人に何をしているのか聞いてみたところ、なんとこれからデモをするという。台湾国内に原発を造ろうとする馬英九政権(当時)への反原発デモだ。
「参加してみる?」と女の子。軽い気持ちで参加してみた。
(女の子2人と)
デモ中は女の子2人と後から加わった女の子の友達らと、自分と同じ大学生であること、何が専攻なのか、お互いの国について、そして福島の原発事故などを話し合った。
デモは予想外に長く5時間くらい街を歩き回った。出発地点の自由広場に帰ってくるころにはもう真っ暗に。歩行者天国になった道路で車座にあぐらをくんで地べたに座り込み、台湾麦酒とタバコを手に、語り合う。
うーん、なんだかバックパッカーぽい。と酔いしれる。
結局終電近くまで話し込み、行く予定にしていた士林夜市は見送ることに。
10日、帰国の日。
やることがとくになくゲストハウスでたばこをぷかぷかさせる。
九州大学から卒業旅行で来たという大学生4人組に「大学一年でひとりでバックパッカーはすごいですよ」と褒められ、調子に乗る。
町に出て、メシを食ったり、タピオカジュースを飲んだり、セブンで真っ黒のたまご(おでん)を見てびっくりしたり、エロ本だと思って買ったただの週刊誌にがっかりしたり、いろいろやった。
さあ、空港へ向かう。
おなじみ忠孝復興駅ではまたしてもデモ。今度はフリーチベットのようだが、この国はデモが盛んなのか?民衆のパワー、熱に触れられた気がする。
ピーチに乗って、いざ関空へ。
無事に着いたものの、終電を逃し、空港泊をすることに。
意外や快適でした。
振り返ればこれが初めてのバックパッカー旅行でした。