上海ディズニーランド
前回記事でベトナム編初日しか書いてないことをすっかり忘れてて…その後、ホーチミンからダナンへ、ダナンで2泊して思ったより汚いビーチに入って、火を噴くドラゴン見て、最後またビーチ行ってぎっくり腰になって、マーケットで杖を買って、ソウルに行って、ビビンバ食べて、セントレアに帰りましたとさ。
さて、今回は中国・上海。
GWの5/3〜5/5に行ってきやした。
もともと、5/3〜5/7までの5日間でバングラデシュ・ダッカに行きたかった。が、バングラいるより、経由地の中国でいる時間が長いわ、現地では男女別の部屋になるわで彼女が了承せず、仕方なく別のプランを急遽探してもらい、上海に決まったのである。
機内から見えた広島
空港から出ているリニアで市内へ
なんと速さは430km/h
龙阳路という駅で地下鉄に乗り換え。
ちなみに駅名は読めないので、「えびすきゅうろ」と呼んでた
そして汉中路駅4番出口徒歩30秒のホテル「manju hotel railway station」にチェックイン。汉中路は、これまた読めないので「さちゅうろ」と呼んでた
その後、人民広場駅で降りてホコ天の繁華街、南京路歩行街を散策
外灘(バンド)を目指して歩く歩く
途中、晩ごはんに寄り道して
老盛昌蘇州湯包館というところへ
やたらしょっぱいチャーハンと、やたら病院食みたいな薄味のワンタンスープと、あまじょっぱい小籠包!!
で、バンド。恥ずかしながらバンドが旧租界で外国人居留地らしい古い洋風の建物があるとは知らずに、まばゆい上海のネオンを見ただけ…
古さと新しさ、上海の二つの顔をじっくり見比べてもよかったなぁ
翌日は1日、ディズニーランド
連れの彼女いわく、東京に比べてガラ空き。7人のこびとのトロッコを50分待ちで萎えてた自分に呆れてた
トロッコは、フロリダと上海にしかないアトラクションで、急降下がえぐかったwけどあれは一番楽しい。
ほか、プーさんの蜂蜜カップのやつ、バズライトイヤー、不思議の国のアリス迷路、アナ雪ミュージカル、などなど。1日中いて、本気で疲れ果てた…7人のこびとは「はいほー♪」の歌が面白くて耳に残って、残りのGWで実家帰った時にアニメ見たほど
イースターのミッキーミニーかわいかった。欲しい。
翌日、帰国の日。
ホテルの正面玄関向かいで、通勤通学前の上海人で行列ができてる朝の屋台発見。
えびすきゅうろへ向かう地下鉄の中で上海ハニー発見。
浦東空港。青い天井から白いポールが大量に突き出ているイメージしかない空港。
帰りはまた春秋航空。
12:30発、16:00関空着。
彼女放置して免税店物色してたら、けっこうギリギリな時間になってて、離陸10分前とかに搭乗口にダッシュで到着になって、かなり心配された。すんません。
余った中国元で機内食とオレンジジュース購入。CAが勘違いで隣の客にオレンジジュース渡して、俺たちに一向にオレンジジュース来なくて、春秋航空クオリティを実感したよね…
ビーフカレーもどき?とごはん
彼女は口に合わんからいらんって言うけど、普通にうまいからなこれ。40元(680円くらい)だったはず。
で、関空到着。はるかに乗って、新大阪まで。前の席に座っていた韓国人の3歳の女の子をあやしてた。国は違っても小さい子はどこでもかわいいもんだ。
新大阪で彼女と解散、新幹線で実家へ帰り、弾丸2泊3日の上海旅行おしまい。
【ベトナムの旅】ホーチミン編
まとまった休みが取れたので、
9/22〜9/27の6日間でベトナムに行ってきました。
去年の2015年でベトナム戦争終結から40年。その頃から関心あって、ずっと行ってみたかったベトナムへ。14カ国目の国です。
22日22:50名古屋セントレア発のジェットスターで経由地の台湾へ
翌朝6:50発の便まで空港泊。
ターミナル1の、地下1階にあるフードコートで寝ました。コンセントもあって寝心地はまずまず。
早朝5時ごろ。早い時間からチェックインカウンターのあたりは人でいっぱい
青白い不思議な自販機
ベトナムのLCC、ベトジェットエアでホーチミンへ向かいます。
アライバル付近の様子。雰囲気はなんとなくプノンペン国際空港に似てる?
THE・東南アジアの空港といったところか。
たばこを吸ってるとおっちゃんたちが歩み寄ってきて、
うぇあゆーごー?たきしー?もーたばい?と営業かけられまくる。
ごめんね、5000ドン(約25円)で市内まで行けるローカルバスに乗るの。
ホーチミン市内中心部のベンタナンのバスターミナルまで152番バスで向かう。
大きい荷物を持っていたらさらに5000ドンがプラスされると聞いていたが、取られず。
ちなみに、この黄色い109番バスでも行けるみたいです。ただし運賃は4倍の2万ドン(100円)。帰りはこいつを使いました。
152番バスの車内から。おうおう、バイクいっぱいおるのう。
30分ほどでバスターミナルに到着。歩いて5分くらいの予約しておいたホテルへ向かう。途中道に迷って30分かかる。
この日の宿は統一会堂近くのランランホテル1。2人で泊まって3000円少しで、清掃の行き届いた綺麗なホテルでした。学生時代は安宿ばかり泊まってたから朝食のバイキングがうれしかった。
徒歩で近くのベトナム戦争証跡博物館へ
ホルマリン漬けの結合した双子の異常児や、報道写真、戦争に使用された銃器などが展示されています。沢田教一や石川文洋の写真もあり、外には米軍の飛行機や戦車、ヘリも。
帰りは博物館の前の道をずっと西に行くとあるフォーの名店「pho le (フォー・レ)」に
うまい。
食後はベトナムのおやつ、「チェー」。
近くの店「ソイ・チェー・ブイティスアン」
正直、好みではなかった。
ちなみに出されるおしぼりは封を開けると金が発生します。
店を出て西にあるスーパー、コープマートへ
ベトナムの買い物かごはこうして取っ手が付いていて、ひいて歩き回れる。
夜は19時頃からベンタナンマーケットの周囲がナイトマーケットになります。120000ドン(約500円)のTシャツをお買い上げ。
ちょっと高い気も?
翌日に続く。
行くぜ、東北。
2012年11月23〜25日に東京、福島、仙台を訪れたときの話。
東京駅に降り立つ。
近くの日比谷公園へ
当時、高校生のときからandymoriというバンドが大好きで、彼らが日比谷の野音に出たこともあり、ボーカルの小山田壮平が日比谷公園がお気に入りということもあり、行きたかったところのひとつ。
散策後、靖国神社。
この日は11/23、勤労感謝の日であり新嘗祭の日。古代、天皇が農作物の収穫を神様に感謝した日ですね(たぶん)
その後は常磐線で一路、福島へ
茨城県を超えて福島県に入ったあたりから車内の人も東北弁が増えつつ
いわき駅で腹ごしらえ。
当時は東北限定の黒ラベルを売っていた
当時は高い放射線量のせいで原発から半径20kmの範囲は警戒区域に指定され入れませんでした。通行止めを示す看板。
10kmまで来ました。
だんだん暗くなってきます。あたりは無人なわけで電気なんて信号と警察の赤灯しかない状況
この日の午前中には東京にいたのにえらい遠くまで来たもんだ
本当に真っ暗。
建物はこのありさま。
ここで少し前まで人が行き交っていたなんて思えない、ひどいありさま。
野良牛がいるみたいで、行き交う車に注意を促す看板。
車なんて、ほとんど原発関係車両と全国から来た都道府県警の警察車両なんだけどね。
この道中、広野駅から原発20km圏内のところまで往復4時間くらい歩いてたけど、警察の職質を食らう食らう。当時は住民が避難して空き家になった家々を狙う空き巣が多発してたからそりゃ怪しまれるけど、どう見ても青年やろうと。
見えてきました、20km圏内の境目。
ブレブレですんません。
当時は静岡県警機動隊が警備しておりました。ここの放射線量が当時住んでた京都の100倍で、まぁビビりましたよね。
でも、ここ福島県双葉郡楢葉町で胸いっぱい深呼吸しても、京都市上京区で同じことをしても、体感的には何にも変わんない。でも、知らず知らずのうちに放射能は身体に入ってくる。
目に見えないものってやっぱり怖い。
帰り道。やっぱりこういうのやるのは共産党だよね。
いわきに戻り、就寝。
たぶんネカフェだったはず
名取駅で降り、近くでチャリンコを借りて(タダだった!)海の方を目指す。
震災前はこうだったのに、流されてしまった
海に近づけば近づくほど何もない
上の画像中央の寺院では、骨も流されたようだ
お墓が全部流されたから
こんなところに貝殻が来てる
川べりは津波でえぐりとられている
ここにあった家は流されて、住んでいた人は死んだか、今も行方不明なんだろう
YouTubeにもある動画ではこの画像の左側から津波が押し寄せ、右の民家を呑み、中学にも押し寄せてきた。
閖上中学校
ここでは14人の中学生が犠牲に
津波が押し寄せた民家は一階部分がぐちゃぐちゃに
近くの閖上小学校
指定避難所とあるが、このありさま
やっぱり話に聞いてても現場で自分の目で見ると違う。本当になんもなかったもん。
仙台駅
以降、仙台に来ると食べてしまうことになるこいつ
帰りは夜行バス。
12時間くらい乗ったんちゃうかな?
貧乏学生はつらいね。
これが初めての東北。
日本人として、東北のこと、震災のことをずっと頭の片隅でもいいから意識し続けるようになった旅でした
弾丸ソウルの旅
2014年3月にソウルを訪れた時の話。
3月17〜20日の4日間で韓国・ソウルの旅。
夕方に関空を発ち、夜にインチョン着。
イミグレを抜けてすぐ腹ごしらえ。
空港内のマクド。
ジュースの量が多かった。
空港鉄道に乗り、ソウル市内へ
車内の女の子がまさしく韓国人という感じで韓国に来たなと実感。
1時間ほどでソウル駅に到着。
さすがソウル、都会です。
地下鉄に乗り換え、東大門駅へ
予約しておいたゲストハウスへ向かう。
ソウルの宿は、
dongdaemun well-being hostel 。
地下鉄からすぐで、近くにセブンありとなかなかの立地。
今回はシングルを予約。
2泊で50000ウォン(5000円)ほど。
女性オーナーのgraceさん、タダで手料理を作ってくれる、いい人だった。
全部辛かった。
夜に近くのマーケットを散策。
なかなかの人出。
翌18日は、板門店へ
事前に申し込んでいたパックツアーで、戦争記念館やプルコギ屋を経由してバスで北緯38度線・板門店へ北進。
朝鮮戦争休戦の調印?
竹島の領有権を主張
韓国軍兵士の姿も。パレードの練習をしていた。
お昼のプルコギ。んまい。
食後は、いざ板門店へ。
国連施設内に入ると、
何やら死傷しても責任は負いませんという文言が盛り込まれた誓約書にサインする。
板門店の歴史についてのレクチャーを受け、
いよいよ潜入。
来ました、板門店。
国境の向こうは北朝鮮。
あちら側の建物には北朝鮮軍人の姿。
初めて見る北朝鮮人に興味津々。
時折、双眼鏡でこちら側を伺っています。
画像の青い建物に入ると、会談の場が
韓国軍兵士の他に米軍兵士の姿も。
板門店を出ると快く撮影に応じてくれます。
朝鮮戦争はあくまで休戦状態。
この21世紀の今でも戦争中というわけで、現場には緊張感が漂っていました。
ソウルに戻ると、平和な日常。
それでも地下鉄などではガスマスクが置いてあり、戦争中ということを感じさせられます。
ソウル市内のマクドで勉強中の女の子
地下鉄には有事への備えが。
翌19日は宿を出て、ソウル市内観光。
朝イチで美白エステ(1時間100000ウォンくらいした)に行くも肌の色は変わらず。
繁華街・明洞をふらつき、実弾で銃が撃てる射撃場へ。
日本の警察が使うニューナンブM60とアメリカ陸軍のベレッタ92Fを使用。
いやぁ反動がすごい。映画なんかだと片手で撃ってたりするけどあんなん無理や。両手で持って脇締めて撃たないと的に当たんない。
ベレッタ92F
さて、この日は宿がないのでオールナイトのクラブに行くことにしていた。
が、行ってみると本日休業の張り紙。なんてこった、空港泊に切り替えだと思って地下鉄に行くと…
なんと空港行きの終電が出たあと。
やばい。
急いで駅職員に話をして、別の路線ならまだ空港行きの電車があることを教えてもらい、急いで向かう。
無事に乗車でき、空港に着きました。
インチョン空港では毎度おなじみ空港泊。
コンセント付きの立派な寝床を発見。
一夜を明かして、さぁ日本へ。
今回もピーチで帰国。お世話になります。
韓国は近くていいですね。
それでいてショッピングはもちろん、板門店や射撃など日本では到底味わうことのできない時間を過ごせる。
また行こう、韓国。
弾丸台北の旅
話は2013年3月にさかのぼります。
3月7日~10日の4日間の弾丸・台北旅行。
はじめての一人旅で、まだ当時18歳の僕にとって、
一人で見る風景・呼う空気は新鮮で気持ちいいものでした。
3月7日
15:45発、18:00着。
桃園空港へ着くと、台北市内へ向かうために空港内のバスチケットカウンターへ。
窓口のおばちゃんが僕を見るなり日本語で話してきた。いきなり面食らう。
バスに揺られること、小一時間、台北市内に到着。
MRT忠孝復興駅で下車します。駅から出るとそごうデパートが堂々とそびえ立つ。
まずは予約しておいたゲストハウスへ。
薄暗い中、一人で初めて歩く知らない土地は少し心細かった。
泊まったのは台北ゲストハウス101。
忠孝復興駅から徒歩1分と立地抜群、オーナーは日本人で言葉に困らない。
この日はゲストハウス周辺をぶらついて、タピオカジュースの店「coco tea」でテイクアウト。美味。
ファミマは「全家」になってました。
8日は早朝から国立国父紀念館へ。
噂通りやってました、太極拳。
見学したあとはMRT忠孝復興駅に向かい、九份へ。
そごう側のバス停から金瓜石行きのバスに乗り込みます。
バスの中で隣に座った台湾人のおばさんから日本語で話しかけられ、小話。
なんでもホテルを経営しているらしいが、よく日本語がここまで話せるものだ。
猫がたくさんいます。
両側に店がひしめく狭い路地を抜け歩き回る。
公衆トイレにペーパーはなく、持参したペーパーが役に立ちました。
あと、屋外でもWifiが使えて、日本とLINEできたのは便利。
お土産を物色してると「阪急バスツアー」ののぼりに付き従うおばちゃん軍団を発見。
聞こえてくる関西弁を耳にしながら、ここは本当に外国なのか…と少し引く。
店にはお土産で有名なパイナップルケーキがたくさん。
かき氷やフランクフルト(甘い)などのつまめるものもたくさん。
九份を後にし、台北に戻ると晩ご飯。どこかの夜市で、うどんらしきものを食べる。
はしごして、別の店へ行くとテレビで野球。なんとWBC日本vs台湾の試合だ。
周囲を台湾人に囲まれる中、一人で日本を応援。
日本が勝って、気まずい空気の中店を後にした記憶が…。
9日は台北市内を観光。
龍山寺でものすごい線香の煙に包まれながらお参り。
中正記念堂で儀仗兵を見ようと行ってみると、自由広場のあたりでなにやら人だかりが。
(中正記念堂)
群集の中にいた同年代とおぼしき女の子2人に何をしているのか聞いてみたところ、なんとこれからデモをするという。台湾国内に原発を造ろうとする馬英九政権(当時)への反原発デモだ。
「参加してみる?」と女の子。軽い気持ちで参加してみた。
(女の子2人と)
デモ中は女の子2人と後から加わった女の子の友達らと、自分と同じ大学生であること、何が専攻なのか、お互いの国について、そして福島の原発事故などを話し合った。
デモは予想外に長く5時間くらい街を歩き回った。出発地点の自由広場に帰ってくるころにはもう真っ暗に。歩行者天国になった道路で車座にあぐらをくんで地べたに座り込み、台湾麦酒とタバコを手に、語り合う。
うーん、なんだかバックパッカーぽい。と酔いしれる。
結局終電近くまで話し込み、行く予定にしていた士林夜市は見送ることに。
10日、帰国の日。
やることがとくになくゲストハウスでたばこをぷかぷかさせる。
九州大学から卒業旅行で来たという大学生4人組に「大学一年でひとりでバックパッカーはすごいですよ」と褒められ、調子に乗る。
町に出て、メシを食ったり、タピオカジュースを飲んだり、セブンで真っ黒のたまご(おでん)を見てびっくりしたり、エロ本だと思って買ったただの週刊誌にがっかりしたり、いろいろやった。
さあ、空港へ向かう。
おなじみ忠孝復興駅ではまたしてもデモ。今度はフリーチベットのようだが、この国はデモが盛んなのか?民衆のパワー、熱に触れられた気がする。
ピーチに乗って、いざ関空へ。
無事に着いたものの、終電を逃し、空港泊をすることに。
意外や快適でした。
振り返ればこれが初めてのバックパッカー旅行でした。