ベロベロックンローラー
翌日が休みの日は、フォーナインズ飲みながらポロンポロンとギター弾きます。今度はこの曲をやろうと思います。
Capo:0
D E A F#m
わずかな金が尽きるまで飲み
Bm C#m D E
ベロベロックンローラーは 街角のちり
D E A A7
恋焦がれても 夢破れても
D E A A7
誰かがいれば 絡んで飲める
D E A A7
カナダの国旗は 綺麗なもみじ
Bm C#m D E A
ベロベロックンローラーも 葉っぱの形
D E A F#m
短い夜が 明けるまで飲み
Bm C#m D E
しわがれ声で 次の場所まで
D E A A7
ファルセットが出ないけど それも味だよと
D E A A7
ちょっと気にしながら 胸を張るのさ
D E A A7
猫の動画を 渡り歩けば
D E A A7
会いたくなるよ クロとミャーコに
D E A F#m Bm C#m
近所の犬に見つめられたら 思い出すのさ
D E
パトラッシュを ガッシュを
D E A A7
カナダの国旗は 綺麗なもみじ
Bm C#m D E A
ベロベロックンローラーも 葉っぱの形
彼女がたばこをやめない理由
小山田壮平弾き語りツアー@高松行ってきました。いやー最高。あの歌声は弾き語りの方が向いてるかもしれん。コード進行はすごくシンプルなのに、そんなの関係ないくらい歌声だけで世界観を完成させてる。
というわけで備忘録的耳コピ。
間違ってる箇所もありますが、まあ雰囲気で。
雰囲気次第でマイナーやセブンスにしてみてください…
capo:0
A A7 D A A7 D E
澄んだ空が綺麗だから 風の音を聴きたくなる
Bm A C#m F#m
もう何処にいてもわたし ダメだと思うんだ
D E A
お母さん ごめんね
A E E7 F#m
ぎゅっと抱きしめて もっと抱きしめても
D A D E
貴方もあの人と同じ人だものね
A E E7 F#m
もう知らないよ、でも嫌なんだ
D E A
だから今日も私変わらないわ
A A7 D E
どんなに言い訳したところで
A A7 D E
どうにもならないものね
Bm A C#m F#m
こんな筈じゃなかった テレビの誰かも言ってた
D E A Asus4
あの頃は良かった
A E E7 F#m
愛してる そばにおいで
D A D E
呼んでみても、きっと返事は聞けないから
A E E7 F#m
もう知らないよ、でもいやなんだ
D E A Asus4
だから今日もわたし、変わらないわ
D A E A Asus4 A E E7
通り過ぎる人たちは足早に 明日へと向かってる
D A Asus4 A D A E
この煙草の火が消えたら わたしも 歩き始めるから
A E E7 F#m
夢のほとり どんなときも
D A D E
嬉しい気持ちは とてもかわいいメロディ
A E E7 F#m
忘れないよ あなたのこと
D E A
だから今日もわたし、変わらないわ
D E A Asus4 A
だから今日もわたし、変わらないわ
カパチーノ
備忘録的耳コピ。
小山田壮平「カパチーノ」
Capo:2
A
昔の君は誰よりも美しくてしなやかで
D Dm E
僕はそれを仰ぐだけでもう何もいらないと思えてた
A
いっそこんなことになるのならば 消えてくれていればよかったのに
D Dm E
みじめな影を引きずったまま歩き続けなくてよかったのに
A
ふと気づいたらカパチーノ
C#m D Dm E
あの日よりきれいな君に見とれているだけなのは 相変わらず 相変わらずなのに
A C#m
何かが違うと考えたくて仕方ないなら
D Dm E
もうその恋は終わり終わり 終わりにしてしまえよ
(1弦 567)
交差点では人々が 憂鬱を持ち寄っては
D Dm E
わずかばかりの余力を何に使うべきかと話してる
A C#m
山積みの宿題たち 四方八方に親の仇
D Dm E
誰も何にも言えないままで息絶えるように眠る
A
今日も心の奥カパチーノ
C#m D Dm E
叫ぶ 君のそばにいたいと思っているだけなのは 愛なんだ 愛なんだけど
A C#m D Dm E C
失うことを嘆いて沈黙を続けている暗がりの片隅でこのまま このまま
C G Am
Wooo Wooo
C G
僕は君を呼ぶ 頼りないその肩を 泣けてくるその熱を
Am C
追いかけてゆく 追いかけてゆく
C G Am F C G Am F
霧の中を 闇の中を …
C G Am F
lu lu …
C
小山田壮平バンドツアーに行ってきた
元andymoriのギターボーカル、小山田壮平のバンドツアーに行ってきた。
9月24日(火)名古屋ボトムライン
9月27日(金)福岡ドラムロゴス
壮平を見るのは当時大学生だった2014年7月の大阪城野音以来、なんと5年ぶり…
たまたま、ツイッターでツアーの告知を知り、申し込んだ。
名古屋、福岡とも整理番号がまあまあよく、ステージの近くで観ることができた。
相変わらずサラサラの髪で、ものすごく無邪気で、
でもたまに男の自分でもドキっとするような目を髪の間から覗かせる。
ほとんど変わっていなかった。
初めて知ったのは高校生だった2010年の夏。
たまたま香川県の夏フェス「モンスターバッシュ」で観てハマった。
その後何回も観て、ライブ後に出待ちをして話をしてもらい、
ツーショット写真を撮ってもらい。
彼に憧れた一人の高校生だった時に見た姿から、ほとんど変わっていなかった。
andymoriを解散してから後の曲はほとんど知らなかったけど、
今回のライブで最近の曲もいいなと思った。
雨の散歩道、あの日の約束通りに、サイン、カパチーノ…
どれも彼らしい曲だったので、改めてちゃんと聴こう。
音源を出してくれ…
ライブは盛り上がっていたけど、名古屋でも福岡でも、andymoriの時のように体を揺らしてモッシュをするようなライブではなかった。
壮平の曲が大人になるに連れ仕方ないことかもしれないけど、ちょい物足りん。
しかし相変わらず、女の子のファンが多いね。
(あいみょんや上白石萌香の影響もあるのだろうか?)
今回のライブでは祈るように両手を胸の前で組んで、
じっと壮平を見つめていた女の子もいた…
ライブ後、高校生の時に撮ったような写真がまた撮れればいいなと思って出待ちしたけど、
出待ちしている集団のほとんどが女の子。
福岡では帰りに車に乗りこむ壮平に走って手紙を手渡す人の姿も。
あ、もちろん一緒に写真を撮ることなんて出来ず、走り去る車を目で追うのみ。
Bigになったんやなあと…
福岡では地元公演ということもあり、終演後、二階の関係者席にご両親らしき姿も見えた。
弟さんの年齢はしらないけど、30~35歳くらいなのであればそれくらいの年頃の男性、
さらに小学生の低学年くらいの女の子の姿も見えた。親戚御一同?なんて想像が進んだ。
そういえば、お姉さんの命日は9月29日。
このまま福岡に残り、お墓参りに行くのだろうか?
ライブハウスの目の前の公園で座って出待ちしながら色々と想像が進んだ…
次は10月25日(金)に弾き語りツアー@高松。楽しみ!音源出せ!
ゆうちゃん
備忘録的耳コピです。
andymori 「ゆうちゃん」
Capo:0
C G Am
C G Am F
ゆうちゃんはいつも宿題をしない私に
C G Am F
綺麗なノートを見せてくれるの
C G Am F G
昨日の夜はだらだらとテレビを観ていたんだ
C G F G C
だめだな でもゆうちゃんは気にしない
F Fm C
因数分解わかんない ローマ時代も知らない
F Fm
だけどゆうちゃんがいてくれるから
G# G
何とかなるよ
C G Am F G C G
お昼ご飯も 休み時間も おしゃべりしよう
Am F G C
昨日のバラエティがおかしいんだよ
C G Am F
ゆうちゃんはいつも遅刻ばっかりの私を
C G Am F
起こしにうちまで来てくれるの
C G Am F G
今日の朝はグズグズと毛布に潜り込んじゃった
C G F G C
ダメだな でもゆうちゃんは気にしない
F Fm C
歌は音痴で恥ずかしい バレーボールも下手くそ
F Fm
なのにゆうちゃんが笑うから
G# G
何とかなるよ
C G Am F G C G
お昼ご飯も 休み時間も おしゃべりしよう
Am F G C
今夜のドラマが泣けちゃうんだよ
C G Am ×2
F Fm
C G Am
F Fm C
風の吹かないグラウンド 夢はしらけた空の上
F Fm
だけどゆうちゃんがいてくれるから
G# G
何とかなるよ
C G Am F G C G
お昼ご飯も 休み時間も おしゃべりしよう
Am F G C
昨日のバラエティがおかしいんだよ
Am F G C
今夜のドラマが泣けちゃうんだよ
三万日ブルース
自分の備忘録も兼ねて、
andymoriの「三万日ブルース」耳コピコードです。
細かな違いはご容赦下さい。
Capo: 0
C G Am
ルルルルルルルル
C G Am
ルルルルルルルル
C G Am
パスタがもうないといった君と
C G Am F G Am
醤油ももう切れたと返す僕の 間の食卓に広がる
C G Am F G
静寂を照らす弱った 太陽の光
G C C G
三万日のライフ 三十時間のライフ
G Am Em F C G
奏でる旋律のその意味に 踊らされて転がされる僕らさ
C G Am C G Am
食の細い僕のことを 母親は悲しみながら
C G Am C G Am
帰っておいでと心では つぶやいているのを知ったのは
G C C G
三万日のライフ 三十時間のライフ
G Am Em F C G
奏でる旋律の美しさに酔いながら 忘れていく僕らさ
G C C G
三万日のライフ 三十時間のライフ
G Am Em F C G
奏でる旋律のその意味に踊らされて転がされる僕らさ
C G Am
ルルルルルルルル
C G Am
ルルルルルルルル
【ラオス】ルアンパバーンでは托鉢をしてみてください
「ラオスにいったい何があるというんですか?」。これは村上春樹の紀行文集のタイトルです。
2015年の秋、大学生協の書店で本を手に取った当時大学3回生の私も、
「たしかにラオスに何があるんだろう」と東南アジアのド田舎の内陸国に関心が生まれました。
そして2016年2月、就活解禁直前にラオスの首都ビエンチャンに入国、1週間ほどをかけて国道13号線を北に上がり、
ラオス北部の古都、ルアンパバーンにたどり着いたのです。
しかし時間があまりなく、非常に静かで穏やかで魅力的なルアンパバーンでの滞在はわずか1泊2日。
帰路、バンコクへ向かう機内の中で、ルアンパバーンへの再訪を誓ったのです。
前置きが長くなりましたが、人生2度目のラオス訪問編です。
前回できなかったことをやろうと象使いのライセンス取得やクアンシーの滝での水遊びなどを楽しみました。
それらはおいおい書こうと思いますが、今回は早朝の托鉢について書いてみますね。
信心深いと聞いたルアンパバーンの人たち
ルアンパバーンの托鉢を調べてみると、
早朝の街中で歩道に地元民や観光客が座り、列をなして歩く僧侶たちに食べ物を寄進する信心深いルアンパバーンの人たちが見られるとあります。
だいたいこの通りです。
早朝5時ごろに起きた私は、すぐに見支度を整えてまだ薄暗い街へ向かいます。
夜にはナイトマーケットが開かれる目抜き通りの南端にある交差点に差し掛かると、既に歩道にはプラスチック製の小さな椅子が並び、
観光客や地元の人が座って僧侶が来るのを待っていました。
※ちなみに僧侶が多いのは目抜き通りをさらに北上し、ルアンパバーン小学校の近辺が盛んだそうです。
割合としては観光客が圧倒的に多い。彼らを狙って、托鉢で差し出す餅米(カオニャオといいます)を売るおばさんたちも。
声をかけられ、値段を聞くと竹で編んだカゴのような容器に入ったコメが20,000Kip(250円くらい)。
うーん、ちょっと高いかな。
こんなこともあろうかと、ホテルの部屋にあったバナナを持ってきていました。
当初の予定通りバナナを差し出そうと決め、餅米売りのおばさんに断りを入れて自分も歩道で待ちます。
せっかくなら本格的に。
あえて椅子に座らず(地元民も座っているので座っても問題ないんだけど)、地べたに膝をついて待ちます。
膝をついて、普段よりも低い視線で街を改めて見渡すと、スマホを手に全く関心のなさそうな地元の若者の姿も。
そりゃそうだよな、全員が信心深いわけじゃないよな。日本だって地方に行けば信心深い年配者こそいれど、
都心部では若者はおろかある程度の中年でも信心深い人はごくわずかだもんな。
とりあえずやってみるだけでいい
托鉢といえど、我々観光客のそれはただの「体験」です。
365日、年中、毎朝の托鉢が日常の一部になっている地元の人に比べれば、我々は1年の中でもわずかな托鉢の時間。
それでも、やっぱり、やってみるだけでも何か感じました。
僕も「何ごとも体験だから」と思って、まだ暗い早朝の時刻に道ばたに正座し、僧侶たちに餅米ご飯を「差し上げ」てみた。
まあ、ほんの真似事のようなものなのだけど、それでも実際にやってみると、そこにある土着の力みたいなものを、その本物さを、
不思議なくらい強く肌身に感じることになった。
ー「ラオスにいったい何があるというんですか?」村上春樹 より
オレンジ色の服を着た僧侶が縦一列になってやってくるのが見えると、
私も膝をついたまま正座のようにして、こうべを垂れます。ちらっと横目で見ると、地元民は自分の容器から餅米を手でつかみ、
僧侶が肩からかけている炊飯ジャーのような容器に差し入れます。僧侶がついに私のところに来ると、私も見様見真似で、持っていたバナナを差し入れます。
目線はあげず、頭は下げたまま。どんな顔のどんな年代の僧侶に差し入れたのかもわかりませんが、
一瞬の出来事ながら、なんとも形容しがたい、不思議な気持ちに無事に包まれました。
タイでもそうですが、東南アジアの上座部仏教では、とにかく徳を積むことが大切。
バンコクではゴーゴーバー嬢でも道端の仏に手を合わせて拝みます(都心部なので信心深い人は多くはないけれど)。
ルアンパバーンの人たちも徳を積もうと、熱心に托鉢するのだと思います。
かなり違うけど日本でいうなれば、イメージ的には「良いことがありますように」と仏像の前で手を合わせて拝むような感じでしょうか。
根本的には、自身に良いことがあるようにと祈りを込める行為として、似たような感じではないでしょうか。
さらに気づいたのは、ラオスでは物乞いの姿を見かけることがなかったこと。
東南アジアはブルネイと東ティモール以外すべての国を訪れましたが、どこの国にも物乞いがいたような覚えがあります。
托鉢のため並ぶ観光客のそばに、袋を持った見るからに貧しそうな子どももいました。
見ていると、僧侶が餅米がたくさん入った炊飯ジャー的な容器からコメを掴み、袋に入れていました。
人々からもたらされた物品が貧しい人にも行き渡る様子を見て、率直に何だか徳があるなぁとしみじみしました。
長くなってしまいましたが、
ルアンパバーンでの托鉢で宗教的な、祈りの行為に自らを置くことができ、貴重な「体験」ができました。
「ラオスにいったい何があるんですか?」と聞かれれば、
ビエンチャンで雄大なメコンのそばで飲むビアラオも、バンビエンでの鴨川と見間違えるほど穏やかなメコンの流れもいいですが、
少なくともルアンパバーンでは、今でも脈々と続く祈りの行為が味わえる托鉢をおすすめしたいです。
帰国した今でも、日本では出勤途中であわただしい時間帯の午前7時ごろ、
遠いルアンパバーンでは厳かに、でもごく日常的な托鉢が変わらずに今日も続いているとふと思いをはせる時があります。
不思議な、いい体験でした。
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