【ラオス】ルアンパバーンでは托鉢をしてみてください
「ラオスにいったい何があるというんですか?」。これは村上春樹の紀行文集のタイトルです。
2015年の秋、大学生協の書店で本を手に取った当時大学3回生の私も、
「たしかにラオスに何があるんだろう」と東南アジアのド田舎の内陸国に関心が生まれました。
そして2016年2月、就活解禁直前にラオスの首都ビエンチャンに入国、1週間ほどをかけて国道13号線を北に上がり、
ラオス北部の古都、ルアンパバーンにたどり着いたのです。
しかし時間があまりなく、非常に静かで穏やかで魅力的なルアンパバーンでの滞在はわずか1泊2日。
帰路、バンコクへ向かう機内の中で、ルアンパバーンへの再訪を誓ったのです。
前置きが長くなりましたが、人生2度目のラオス訪問編です。
前回できなかったことをやろうと象使いのライセンス取得やクアンシーの滝での水遊びなどを楽しみました。
それらはおいおい書こうと思いますが、今回は早朝の托鉢について書いてみますね。
信心深いと聞いたルアンパバーンの人たち
ルアンパバーンの托鉢を調べてみると、
早朝の街中で歩道に地元民や観光客が座り、列をなして歩く僧侶たちに食べ物を寄進する信心深いルアンパバーンの人たちが見られるとあります。
だいたいこの通りです。
早朝5時ごろに起きた私は、すぐに見支度を整えてまだ薄暗い街へ向かいます。
夜にはナイトマーケットが開かれる目抜き通りの南端にある交差点に差し掛かると、既に歩道にはプラスチック製の小さな椅子が並び、
観光客や地元の人が座って僧侶が来るのを待っていました。
※ちなみに僧侶が多いのは目抜き通りをさらに北上し、ルアンパバーン小学校の近辺が盛んだそうです。
割合としては観光客が圧倒的に多い。彼らを狙って、托鉢で差し出す餅米(カオニャオといいます)を売るおばさんたちも。
声をかけられ、値段を聞くと竹で編んだカゴのような容器に入ったコメが20,000Kip(250円くらい)。
うーん、ちょっと高いかな。
こんなこともあろうかと、ホテルの部屋にあったバナナを持ってきていました。
当初の予定通りバナナを差し出そうと決め、餅米売りのおばさんに断りを入れて自分も歩道で待ちます。
せっかくなら本格的に。
あえて椅子に座らず(地元民も座っているので座っても問題ないんだけど)、地べたに膝をついて待ちます。
膝をついて、普段よりも低い視線で街を改めて見渡すと、スマホを手に全く関心のなさそうな地元の若者の姿も。
そりゃそうだよな、全員が信心深いわけじゃないよな。日本だって地方に行けば信心深い年配者こそいれど、
都心部では若者はおろかある程度の中年でも信心深い人はごくわずかだもんな。
とりあえずやってみるだけでいい
托鉢といえど、我々観光客のそれはただの「体験」です。
365日、年中、毎朝の托鉢が日常の一部になっている地元の人に比べれば、我々は1年の中でもわずかな托鉢の時間。
それでも、やっぱり、やってみるだけでも何か感じました。
僕も「何ごとも体験だから」と思って、まだ暗い早朝の時刻に道ばたに正座し、僧侶たちに餅米ご飯を「差し上げ」てみた。
まあ、ほんの真似事のようなものなのだけど、それでも実際にやってみると、そこにある土着の力みたいなものを、その本物さを、
不思議なくらい強く肌身に感じることになった。
ー「ラオスにいったい何があるというんですか?」村上春樹 より
オレンジ色の服を着た僧侶が縦一列になってやってくるのが見えると、
私も膝をついたまま正座のようにして、こうべを垂れます。ちらっと横目で見ると、地元民は自分の容器から餅米を手でつかみ、
僧侶が肩からかけている炊飯ジャーのような容器に差し入れます。僧侶がついに私のところに来ると、私も見様見真似で、持っていたバナナを差し入れます。
目線はあげず、頭は下げたまま。どんな顔のどんな年代の僧侶に差し入れたのかもわかりませんが、
一瞬の出来事ながら、なんとも形容しがたい、不思議な気持ちに無事に包まれました。
タイでもそうですが、東南アジアの上座部仏教では、とにかく徳を積むことが大切。
バンコクではゴーゴーバー嬢でも道端の仏に手を合わせて拝みます(都心部なので信心深い人は多くはないけれど)。
ルアンパバーンの人たちも徳を積もうと、熱心に托鉢するのだと思います。
かなり違うけど日本でいうなれば、イメージ的には「良いことがありますように」と仏像の前で手を合わせて拝むような感じでしょうか。
根本的には、自身に良いことがあるようにと祈りを込める行為として、似たような感じではないでしょうか。
さらに気づいたのは、ラオスでは物乞いの姿を見かけることがなかったこと。
東南アジアはブルネイと東ティモール以外すべての国を訪れましたが、どこの国にも物乞いがいたような覚えがあります。
托鉢のため並ぶ観光客のそばに、袋を持った見るからに貧しそうな子どももいました。
見ていると、僧侶が餅米がたくさん入った炊飯ジャー的な容器からコメを掴み、袋に入れていました。
人々からもたらされた物品が貧しい人にも行き渡る様子を見て、率直に何だか徳があるなぁとしみじみしました。
長くなってしまいましたが、
ルアンパバーンでの托鉢で宗教的な、祈りの行為に自らを置くことができ、貴重な「体験」ができました。
「ラオスにいったい何があるんですか?」と聞かれれば、
ビエンチャンで雄大なメコンのそばで飲むビアラオも、バンビエンでの鴨川と見間違えるほど穏やかなメコンの流れもいいですが、
少なくともルアンパバーンでは、今でも脈々と続く祈りの行為が味わえる托鉢をおすすめしたいです。
帰国した今でも、日本では出勤途中であわただしい時間帯の午前7時ごろ、
遠いルアンパバーンでは厳かに、でもごく日常的な托鉢が変わらずに今日も続いているとふと思いをはせる時があります。
不思議な、いい体験でした。
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