行くぜ、東北。
2012年11月23〜25日に東京、福島、仙台を訪れたときの話。
東京駅に降り立つ。
近くの日比谷公園へ
当時、高校生のときからandymoriというバンドが大好きで、彼らが日比谷の野音に出たこともあり、ボーカルの小山田壮平が日比谷公園がお気に入りということもあり、行きたかったところのひとつ。
散策後、靖国神社。
この日は11/23、勤労感謝の日であり新嘗祭の日。古代、天皇が農作物の収穫を神様に感謝した日ですね(たぶん)
その後は常磐線で一路、福島へ
茨城県を超えて福島県に入ったあたりから車内の人も東北弁が増えつつ
いわき駅で腹ごしらえ。
当時は東北限定の黒ラベルを売っていた
当時は高い放射線量のせいで原発から半径20kmの範囲は警戒区域に指定され入れませんでした。通行止めを示す看板。
10kmまで来ました。
だんだん暗くなってきます。あたりは無人なわけで電気なんて信号と警察の赤灯しかない状況
この日の午前中には東京にいたのにえらい遠くまで来たもんだ
本当に真っ暗。
建物はこのありさま。
ここで少し前まで人が行き交っていたなんて思えない、ひどいありさま。
野良牛がいるみたいで、行き交う車に注意を促す看板。
車なんて、ほとんど原発関係車両と全国から来た都道府県警の警察車両なんだけどね。
この道中、広野駅から原発20km圏内のところまで往復4時間くらい歩いてたけど、警察の職質を食らう食らう。当時は住民が避難して空き家になった家々を狙う空き巣が多発してたからそりゃ怪しまれるけど、どう見ても青年やろうと。
見えてきました、20km圏内の境目。
ブレブレですんません。
当時は静岡県警機動隊が警備しておりました。ここの放射線量が当時住んでた京都の100倍で、まぁビビりましたよね。
でも、ここ福島県双葉郡楢葉町で胸いっぱい深呼吸しても、京都市上京区で同じことをしても、体感的には何にも変わんない。でも、知らず知らずのうちに放射能は身体に入ってくる。
目に見えないものってやっぱり怖い。
帰り道。やっぱりこういうのやるのは共産党だよね。
いわきに戻り、就寝。
たぶんネカフェだったはず
名取駅で降り、近くでチャリンコを借りて(タダだった!)海の方を目指す。
震災前はこうだったのに、流されてしまった
海に近づけば近づくほど何もない
上の画像中央の寺院では、骨も流されたようだ
お墓が全部流されたから
こんなところに貝殻が来てる
川べりは津波でえぐりとられている
ここにあった家は流されて、住んでいた人は死んだか、今も行方不明なんだろう
YouTubeにもある動画ではこの画像の左側から津波が押し寄せ、右の民家を呑み、中学にも押し寄せてきた。
閖上中学校
ここでは14人の中学生が犠牲に
津波が押し寄せた民家は一階部分がぐちゃぐちゃに
近くの閖上小学校
指定避難所とあるが、このありさま
やっぱり話に聞いてても現場で自分の目で見ると違う。本当になんもなかったもん。
仙台駅
以降、仙台に来ると食べてしまうことになるこいつ
帰りは夜行バス。
12時間くらい乗ったんちゃうかな?
貧乏学生はつらいね。
これが初めての東北。
日本人として、東北のこと、震災のことをずっと頭の片隅でもいいから意識し続けるようになった旅でした